言葉もパンデミック


世界はつながっている。
病原ウイルスの世界的流行のお陰で、
イヤでも認識させられる日々だ。

みな必死で現状維持しようとする。
それでもどうしようもなくなり、
目の前の景色が変わる。

銀座の街に人がいなくなる。
買いたいのにモノがなくて、
手に入らなくなる。

ショックを受ける。

「こんな所に影響があるんだ」
これから益々増えるだろう。

新たな工夫が生まれるだろう。
「公共」というものを重視する
日本人の精神は素晴らしい。

自分が迷惑をかけてはいけない。
強制がなくても、周りに合わせる。
ただし、共倒れには注意が必要だ。
感情的になっているとき、ヒトは
正しい判断ができない。


情報発信にも配慮がほしいところだ。
ウソはいけない。
しかし、感情を揺さぶるだけの
「告知」には反対だ。

常に、「対案」や「だから~しよう」
をセットで用意してほしい。

書籍からの引用だ。
「ヒトはポジティブな意味合いの言葉を
他者から聞くと、自分の言動もポジティブ
に変化する」

「情動感染」と呼ばれる現象らしい。

当たり前だが、言語は身体に影響する。
言葉は病気も健康も作り出す。

「わかりあえなさ」を埋めるには、
既知の言葉ではなく、未知の言葉が
溢れてくるのをじっと待つ。
それが、他者との関係性を保つために
重要だ、と著者は述べる。


ウイルスだけでなく、言葉も蔓延するし、
感染する。そして感情も感染する。
どんな言葉を収集し、発信するのか?
それが、宇宙を動かす。

今こそ「縁起」を体感する好機だ。

『縁起の思想』読後


早い話が
傍観者にはなりえない
ということだ。


何をかくそう仏教徒だ。
破ることも多々あるが、
一応「戒律」もある。

「宗教とは一神教である」
の定義を採用しているので、
仏教を宗教とは考えていない。
仏教に「神」はいないからだ。

生きて行く上での知恵として、
仏教「哲学」を採用している。

「縁=関係」「縁起=関係性」
と著者は考えている。


西洋哲学で関係性「A→B」を語る際、
語り手はAに対して完全なる傍観者だ。
逆に完全なる傍観者になれるから、
「科学」が生まれる。

仏教の立場は全く違う。
自分と無関係なAは存在するのか?
要するに

「ほな、誰がAについて語ってるねん?」
ということだ。

Aには、「自分」を含め、すでに
無数の「縁(関係)」が内在されている。
21世紀「量子論」では観測者の影響を
無視できないことが当たり前になった。
仏教に「先見の明」があったのだ。


イラク問題は傍観者でいられても、
新型肺炎の問題は傍観者になれない。
感染症も経済もつながっている。
本当はイラク問題もつながっている。

「関係性」を意識することでしか
世界は救えない。

聴診器はタクト?

色んな楽団(バンド)を経験した。
観てきたバンド、所属したバンド。

うまくいっているバンドは
例外なく全員が「指揮者」だ。
メンバー全員が俯瞰(ふかん)
できている。

俯瞰するためには、「関係」を
理解し、共有することが必要だ。
当たり前と思うが、簡単に
できるかどうかは知らん。
簡単と思わない方がいい。

所属する「楽団」はたくさんある。
家庭、地域、学校、職場、地域、
国家、国連…

医療という「楽団」に限定しても、
患者、スタッフ、出入り業者、薬局…
無限に存在する。

しっかりと「関係」という足場を
築けているか?
「効く」ときは、できている。
間違いない。

悪く言えば、
自分勝手なヤツが1人でもおったら
治るモンも治らん
なのだ。

診療指針という共通言語への
信頼の効能は強力だ。
であれば、先人への敬意は
絶対に忘れてはいけない。

2000年以上前に、ヒポクラテスは
有名な「誓い」の中で、
「この術を与えてくれたすべての
先人たちへの敬意を忘れない」
と述べている。

それは医療の現場だけではない。
教育の世界でも適用されるべきだ。
宗教業界だって政治業界だって。

一番最初の関係性は「親子」だ。
親の自覚を持っているか?
自問自答している日々だ。

要は、どの「関係」の中でどんな
「機能」を果たしているのか?

そこを起点に考えれば、自ずと
身につけるべき「スペック」が
決定されるのではないか。
時間をつぶしている暇はない。

美しい音楽だけが効く。
24時間365日、自分のテーマです。