酒と薔薇の日々


大学の同級生の吉川君とお茶をした。
3時間くらい盛り上がった。
見晴らしのよい川沿いのカフェで。

旧友と会うと大抵、昔のとんでもない
悪事をとがめられる。

酒にまつわる失敗、女がらみ…
「そんなことあったなあ」
大笑いしながら勝手に盛り上がる。

「一生の思い出やなあ」
こちらの言葉に吉川君はただ苦笑い。

決して開き直っているわけではない。

ところで、映画のキモは「シーン」だ。
シーンにおいて、何らかの取引が行われる。
映画は「活動写真」と呼ばれていた。
シーンは動く写真の中で表現される。

シーンにしか意味がなく、逆に
無意味なシーンは全部切り取られる。

長くて3時間の中に、重要なシーンだけが
集まったものが映画だ。
(無駄なシーンの多い映画も多々あるが…)

映画は「記憶」に近い媒体だと思う。
記憶とは「ネタ化」されたシーンの集大成だ。

人間は一度見たものは見ないそうだ。
見ているフリをしているだけ。
神経は「変化」にだけ反応する。
脳のエネルギー消費節約のため、
生得的に備わった機能だ。

つまり無駄なシーンは記憶されない。
変化のない生活をしていると
ヘタしたら記憶ゼロになる。
死ぬ時に「ゼロ人生」になってしまう。

新型コロナのおかげで2020年は
忘れられない年になるだろう。
ぜんぶ「ネタ化」すればいい。

吉川君の名作(迷作?)映画に
出演できたことを光栄に思う。

繰り返すが、開き直っている
わけではない。

ナガルコットその2

二日目。
初日の出を拝むことができた。
瞬間ではあったが…
近所で花火が打ち上げられたのは
嬉しいサプライズだった。

圧倒的な景色に感動している
母にホッとした。
そして朝食ビュッフェにおける
母の凄まじい食欲に驚嘆した。
(これなら大丈夫や…)

山の上のコーヒーは本当に美味い!
母は4杯おかわりしていた…

ご機嫌な母は饒舌だ。
改めて実感した。
うちの母親はしゃべりが上手い!

もちろん大半が思い出話だ。
どう考えても、現実離れしている。
「ホンマ?」満載だ。
長年話すうちに練り込まれ、
真実になったのだろう。
そして最後は自分の手柄に持っていく。

それでいいのだ。
その人の「記憶」がその人なのだ。
イイ人生だった、で死ねばいい。


ときに悲しい記憶を泣きながら話す。
それもそれでいいと思う。
ただ、悔いている思い出話にだけは
「かえって良かったんちゃうか」
と「Bメロ」にブリッジしてあげた。

幼少時以来の二人っきりの時間。
最高のシチュエーションで実現した。
悲喜こもごもすべての出来事が
「今」に欠かせない材料だ。

雑談こそが人生だ。

因果の奴隷

虎 赤ちゃん に対する画像結果

ショックな出来事があった。
時計の針は戻らないし、戻せない。
思い出してもどうにもならない。
でも脳裏をよぎってしまう。
原因を考えてしまう。

どうすれば避けられたか?
(ああしなければ良かった)
(あれが悪かったんじゃないか?)
(あの言葉が引き金では?)

絶対に勝てない勝負だ。

取り返しのつかない現状は
絶対に変わらないのだから。

「因果」というストーリーを
使うことで記憶に残しやすい。

同じ失敗を避けるための知恵
としては良いシステムだ。

しかし、二度目のなさそうな
どうしようもない出来事もある。
「理不尽」としか説明できない
ような出来事が。

そんなときにそのシステムを
使えば、記憶が強固になるだけだ。

それでもやってしまう。
脳の「クセ」なのだろう。
クセにはクセで対抗するしかない。

この世の中は大半が理不尽だ。
理不尽を「虚心坦懐」見つめる。
因果の奴隷から解放された。

残りの人生は、新しいクセで
過ごすことにする。

まだまだやる用事が多い。
立ち止まっている場合ではない。