交通事故は悲惨だ

加藤さんは79歳女性。
よくしゃべる元気な人だ。
色んなグループのリーダーを
引き受けている。

加藤さんは先日、自転車運転中に
タクシーと接触事故をした。
転倒し、右手を捻挫した。


タクシーの対応もまずかった。
保険屋の対応もまずかった。
整形外科医の対応もまずかった。
痛みが一向に引かない。

外来で愚痴を延々と聴かされた。
「災難でしたね。でも打撲だから
時間ぐすり。それで済んでよかった」

この程度の励ましが精一杯だ。

加藤さんのグループの人も
大勢当院に来ている。
加藤さんのリーダーシップに
負うところは大きい。

佐伯さんはグループの一員。
来院したときに
「加藤さん大変やったですね」
と言ってみた。

すると
「どうせ話長かったんでしょ。
何で手だったんだろう?
口の骨折ればよかったのに
ってみんなで悪口言ってるの」

と大笑いしていた。

強烈な悪口だ…
もちろん加藤さんの目の前で…

加藤さんは、自らの「受難」を、
大げさに話し、皆から、悪口を
ツッコまれることで乗り越えた。

「下町にうつ病はいない」
研修医の頃、教えられた格言だ。
もちろん例外はある。
しかし、少ないと感じるし、
実際なんとかなっている。

「失敗」や「ブルース」を
軽症のうちに皆で笑い飛ばす。

落語に学ぶことは実に多い。

親を尊敬してはいけません

中学入試の指南書だったか?

「尊敬している人は?」

という質問に何と答えるか?

その本によると
「親です」

という答えはNGであるとのこと。

「福沢諭吉」とか「聖徳太子」
歴史上の人物を答えた方がいいと。

「入試技術」としてはそうらしい。

親は尊敬の対象ではなかった。
小学生の自分はそうだった。
(親は悲しんだかもしれないが…)

今は尊敬している。

尊敬の概念が変化したからだ。
勝手に他者に「役割」を与える。
全員なにがしかの「役割」がある。

であれば、誰のことも尊敬できる。

落語はよくできている。
「与太郎」にも役割がある。
与太郎も尊敬対象だ。

与太郎なしで落語は成り立たない。

他者が役割を果たしてくれている。
すなわち「機能」してくれているから

自分の人生が成立している。

相手を尊敬できるかどうかは、

こちらにかかっているわけだ。

他人に定義を強要するつもりはない。

巷の
「リスペクトしてるぜ」

には違和感をおぼえる。

このブログを読んでいる人!
尊敬していますよ!

出血大サービス

トウモロコシ1本158円
3本なら450円

気持ちだけ安くなるシステムだ。
しっかり者の妻は1本だけ購入。

こういうマーケティングにつられない。

そこをオジサンが通りかかった。
60代後半か。
買い物かごの内容が独居のそれだ。

終始ムスッとしている。

(おっちゃん、血圧に良うないで…)

心の中で職業が顔を出す。

オジサンはトウモロコシ3本をかごに。

娘(4歳)はそれを見逃さなかった。

「たっくさん買うねえ!好きだねえ!」

最近流行っている落語口調で呟いた。

照れたオジサンは吹き出した。

笑顔の健康への効果は計り知れない。

オジサンの寿命は延びたにちがいない。

帰りのエレベーターでオジサンに再会。

「もう、また会ったじゃない!」
とオジサンの肩を叩く娘。
さらに屈託ない顔で笑うオジサン。

早期ガンなら治りそうな笑顔だ。

確実に下町っ子に育っている娘。
ヘタな医者より健康に貢献してる。