世界平和は挨拶から

挨拶ができない社員がいる。
顧問先で相談を受けた。

挨拶と会社の経営状態は
驚くほど比例する。
社員の健康状態にも反映される。

もちろんニワトリが先か?
玉子が先か?ではあるが…

挨拶できない社員に理由を訊くと、
挨拶が苦手だという。

「社会人」としては失格なのだが、
放置しているわけにはいかない。
組織が機能しないからだ。

なぜ苦手なのか?
「間がつかめない」そうなのだ。
挨拶をするタイミングを逸する。
無視されることが辛い。

となると、気づいてもらえる声を
作る必要がある。
さらにハードルが増える。

声の出し方を鍛えるのも
それほど簡単ではない。
声は絶対大切なのだが、
はたしてそこから始めるべきか…

ふと気づいた。

挨拶が苦手という人は挨拶される
「間」も作れていないのだ。

こちらを見ていない。
要するに他人を見ていないのだ!
自分の世界に入っている。


そういう人に都合のよいツールは
増えている。スマホなどがそうだ。
これはとても危険だ。
通り魔に殺されるかもしれない。

自分以外の他人に興味を持たない
ということは自分にも興味がない
ということだ。
自分に興味がないということは
一体自分のしていることは何?

哲学的になってしまう…

できることから始めるしかない。
外交も近所づきあいも挨拶だ。
先ず隗より始めよ。
首相、社長、親、リーダー、
「長」の自覚からやな。

挨拶の彼方へ

「挨拶をもう一回見直しましょう」

職場のミーティングで話した。
いわゆる「接遇」の話ではない。

診療の一環としての話だ。

挨拶における3つの意味。
それぞれ独立しているわけではない。

すべて関係している。

まず、儒教精神からくる挨拶。
「礼儀」という側面だ。
目上の人を敬う挨拶。
部活で先輩から徹底される。
人間関係を円滑にするために

非常に大切な入り口となる。

次に「武道的」挨拶がある。
自分を殺しに来た相手と友達になる。
殺気を放つ相手に
「元気?」「お腹空いてない?」

と握手の手を差し出す。

日野武道研究所主宰の日野晃先生から
学んだことだ。
武道は殺し合いだ。

挨拶は生き残るための「防御」だ。

3つ目は最近知った概念だ。
実は挨拶は「ほめる」なのだ。
「ほめる」とは人・モノ・出来事の
「価値を発見して、伝える」こと。
そう定義すれば、挨拶もまさに

「ほめる」なのだ。

きちんと挨拶するということは、
相手の価値を発見できる自分である
ということでもある。

逆に、無視することは「無価値」と
レッテルを貼ることになるのだ。
「ほめる」どころか「もめる」…

そんな講釈を垂れて、ワークをした。
みな照れながらも真剣にやってくれた。

ありがたい。

「患者さんが診察室に入るまでに、
接するスタッフの挨拶でしっかり
治療しておいて下さい」

そうスタッフにお願いしておいた。

世界中の人がきちんと挨拶すれば
戦争もなくなる。