天国日記(3)

台東区の公共の建物には
ウオシュレットがない。
警察署や区役所はもちろん
図書館にも。

それだけではなく、異様に暗い。
職員が気の毒になるほど。
「昭和のトイレ」が思い出される。

「節約してます」アピールか?

空調も相当節約しているそうだ…

公衆トイレは異常にキレイだ。
観光客も多い台東区。
「内ヅラ悪くて外ヅラ良い」
を懸命にやっている印象だ。

日本は本当に便利な国だ。
海外に来ると痛感する。
本当に「ほったらかし」だからだ。

公共のバスはアナウンスなし。
スーパーに買い物袋はなし。
食パンは切り目なしの一斤売り。
驚くほど旧式の機械が多い。

日本ならクレームが来るような
サービスも多い。

しかし、道ゆく人は親切だ。
外国人の珍しさもあるとは思うが、
こっちをしっかり見てくれる。
ニューカレドニアでは、自動車は
徹底的に歩行者優先だ。

多分、これが「普通」なのだ。

日本は「過保護」さと「無関心」が
アンバランスな気がする。

最近10年で「安さ」も加わった。
日本だけ物価が変わっていない。

過保護なサービスと安さの両立。
誰かが我慢しないと成立しない。
誰が我慢しているんだろうか?

通勤車内の不機嫌な顔を思い出した。

たしかに無関心、我関せずだ。

この辺にしとこう。
やっぱり日本が好きだ。
本心からそう思っている。
まずは自分のできることから、だ。

だれ?この人?

バカンスで真っ黒に日焼けした
鏡越しの人物に反省の文字はない…

だれも言わない野球の話(その2)

南海ホークスの大ファンだった。

 

高校では甲子園を目指していた。
同期は新庄、元木、前田。

(海の向こうではペタジーニ)

大学時代も学生野球三昧だった。

野球を観なくなって数十年経つ。
管理されている選手ばかりで

面白くなくなったからだ。

昭和の「パ・リーグ」
教育上よろしくない選手しか

いなかった。懐かしい…

「あれどない思う?」

(下線をクリックして下さい)

超高校級投手が地区予選の決勝で
登板を回避した件だ。

将来ある子を潰してはいけない。
監督がエースを温存した根拠だ。

どんな将来?

プロ野球選手?

そんなの「部活」と関係ない。

エースはチームのリーダーだ。
自分を捨て、貢献する。
リーダーとはそういうものだ。
それは教育に値する。
だって部活なんでしょ?

超高校級投手は体躯、資質ともに
天の恵みだ。

野球能力の偏差値でいえば?

80を超えているかもしれない。
全体の0.135%以下だ。

だから少々無理をしてもいい。

偏差値80超は医学の想定外だ。
温存の効能は医学的に証明不能だ。

何度でも言う。
もともと野球なんて身体に悪い。

一試合追加で投げるのは誤差だ。

「本心は投げたかった」

選手の意思こそ尊重すべきだ。

だって「部活」なんでしょ?

高校野球ほど注目される部活はない。

ルールの複雑さと高いゲーム性。
プロ野球というビッグビジネス。
それが後ろに控えているから、
メディアも異常に肩入れする。

甲子園はさながら「品評会」だ。

野球少年の動機はシンプルだ。
カッコいい!オモロイ!
名選手を夢見て、苦痛に耐える。

「モテたい」「金持ちになりたい」
本人に下心があってもかまわない。
過程に「学び」が必ずあるから。

部活は学生が主役だ。

「甲子園で観たかった」
「将来の宝を潰すな」

どちらも部外者の勝手な希望にすぎない。

ふしだらな大人の希望が主役なら、
そんな部活はいらない。

マインドコントロール

連休明けという人も多いだろう。
「五月病」という言葉もある。

なにかと「魔が差す」時期だ。
ピリッとする感じの話を。
GW中の読書は少し趣向を変えた。
ルポルタージュ。

事件の記録記事をたくさん読んだ。

オウム事件
宮崎勤の幼女連続殺人事件

女子高生コンクリ事件

いずれも昭和~平成節目に世間を

震撼させた事件だ。

他人事とは思えないものもあった。
あるタイミング、環境下では自分も

巻き込まれた可能性もあった。

これらの事件に共通する点がある。

思考停止状態だったということ。
自分で考えない=飼いならされる

ということだ。

オウム信者は輪廻思想の奴隷
宮崎勤は空想世界の奴隷
リンチ犯は群集心理の奴隷

心を野放図にしてはいけない。

マインドコントロールの下地となる。

自分で手綱を引かなければいけない。

ある死刑囚が自分の死に直面する。
残される自分の家族を慮る。
そのときに初めて気づき、涙する。
被害者とその家族への申し訳なさに。

時すでに遅し。
奴隷はリアリズムが欠如していたのだ。

科学的に実証されていることだ。
人の脳は、その人がどう考えるか
によって劇的に変わる性質を持つ。
脳もある意味「筋肉」なのだ。
リアリズムを手放さず、鍛えるのみ。

宮崎に殺された幼女は娘とほぼ同い年。
幼女が生きていれば妻とほぼ同い年。
被害者の家族の傷は癒えることはない。