だれも言わない野球の話(その2)

南海ホークスの大ファンだった。

 

高校では甲子園を目指していた。
同期は新庄、元木、前田。

(海の向こうではペタジーニ)

大学時代も学生野球三昧だった。

野球を観なくなって数十年経つ。
管理されている選手ばかりで

面白くなくなったからだ。

昭和の「パ・リーグ」
教育上よろしくない選手しか

いなかった。懐かしい…

「あれどない思う?」

(下線をクリックして下さい)

超高校級投手が地区予選の決勝で
登板を回避した件だ。

将来ある子を潰してはいけない。
監督がエースを温存した根拠だ。

どんな将来?

プロ野球選手?

そんなの「部活」と関係ない。

エースはチームのリーダーだ。
自分を捨て、貢献する。
リーダーとはそういうものだ。
それは教育に値する。
だって部活なんでしょ?

超高校級投手は体躯、資質ともに
天の恵みだ。

野球能力の偏差値でいえば?

80を超えているかもしれない。
全体の0.135%以下だ。

だから少々無理をしてもいい。

偏差値80超は医学の想定外だ。
温存の効能は医学的に証明不能だ。

何度でも言う。
もともと野球なんて身体に悪い。

一試合追加で投げるのは誤差だ。

「本心は投げたかった」

選手の意思こそ尊重すべきだ。

だって「部活」なんでしょ?

高校野球ほど注目される部活はない。

ルールの複雑さと高いゲーム性。
プロ野球というビッグビジネス。
それが後ろに控えているから、
メディアも異常に肩入れする。

甲子園はさながら「品評会」だ。

野球少年の動機はシンプルだ。
カッコいい!オモロイ!
名選手を夢見て、苦痛に耐える。

「モテたい」「金持ちになりたい」
本人に下心があってもかまわない。
過程に「学び」が必ずあるから。

部活は学生が主役だ。

「甲子園で観たかった」
「将来の宝を潰すな」

どちらも部外者の勝手な希望にすぎない。

ふしだらな大人の希望が主役なら、
そんな部活はいらない。

マインドコントロール

連休明けという人も多いだろう。
「五月病」という言葉もある。

なにかと「魔が差す」時期だ。
ピリッとする感じの話を。
GW中の読書は少し趣向を変えた。
ルポルタージュ。

事件の記録記事をたくさん読んだ。

オウム事件
宮崎勤の幼女連続殺人事件

女子高生コンクリ事件

いずれも昭和~平成節目に世間を

震撼させた事件だ。

他人事とは思えないものもあった。
あるタイミング、環境下では自分も

巻き込まれた可能性もあった。

これらの事件に共通する点がある。

思考停止状態だったということ。
自分で考えない=飼いならされる

ということだ。

オウム信者は輪廻思想の奴隷
宮崎勤は空想世界の奴隷
リンチ犯は群集心理の奴隷

心を野放図にしてはいけない。

マインドコントロールの下地となる。

自分で手綱を引かなければいけない。

ある死刑囚が自分の死に直面する。
残される自分の家族を慮る。
そのときに初めて気づき、涙する。
被害者とその家族への申し訳なさに。

時すでに遅し。
奴隷はリアリズムが欠如していたのだ。

科学的に実証されていることだ。
人の脳は、その人がどう考えるか
によって劇的に変わる性質を持つ。
脳もある意味「筋肉」なのだ。
リアリズムを手放さず、鍛えるのみ。

宮崎に殺された幼女は娘とほぼ同い年。
幼女が生きていれば妻とほぼ同い年。
被害者の家族の傷は癒えることはない。