丁稚卒業


新しい人生がいよいよ始まる。
純粋にプレイヤーをさせてくれた
前職には感謝している。
給料を与え続けてくれた。
(増えなかったが・・・)

辞めてみて自分の甘さにも気づいた。
師匠である日野晃先生は
「12年間、丁稚やったと思えばいい」
という言葉をくれた。

記憶に残る「今日」になると思う。
いや、残りの人生全部
記憶に残る一日にしよう。


新たな課題を自分に与えることにした。

世の中の全仕事に対して傍観者になるな!

コロナ禍でよくわかった。
どこかの国で感染を収束させるには、
世界中同時に収束するしかないのだ。

世界中の全仕事のおかげで
世界は成り立っている。

24時間365日意識し続けるのは
簡単ではないかもしれない。
でも、そう決めた。

備忘録として残しておく。

貧乏ヒマなし

告白すると、はんこを押す作業が
嫌いではない。
いや、むしろ好きかもしれない。

美しく押せたとき気持ちがいい。
書類が完成した安堵感もいい…

「はんこ屋」の患者さんがいる。
将来が不安だそうだ。
公的な書類も電子処理が主流になる。
はんこ屋はこれからどうなるのか?

はんこは確かに合理的ではない。
「合理的」「効率化」「時短」…
耳にしない日はない。

心配になる。
時短して「何をする」かが問題であり、
決して「時短」が目的ではないはず。

ひたすら処理が早くなる IT に、
人の処理能力は追いついているのか?

「余暇」という言葉がある。
余った時間とは何の余りか?
職業に対する余りと思われる。
余暇を充実させなかれば、という
プレッシャーで病む人がいるらしい。


もちろん本末転倒だが、笑えない。

ちなみに、先史時代は起きている
時間の6割が余暇だったらしい。

壁画を描いたり、昼寝をしたり、
雑談をして過ごしたらしい。

途上国に行くといまだに
「何に使うの?」
と思う民芸品が売られている。
日本でも土産屋に三角フラッグを
よく見たが、今もあるのかな?

すべからく民芸品は
合理性からはほど遠い。

以前、日野武道研究所の主宰である
日野先生と話していたときに、
「ギリシャ時代は哲学者や数学者、
科学者。なんであんなに賢い人が
量産されたんですかね?」

と訊いてみた。
「暇やったんちゃうか?」
「なるほど!暇か…」

と非常に納得した記憶がある。

「暇」は思考に重要なのだ!
つまり合理的になるためには
「暇」が必要なのだ。
みなスケジュールを埋めすぎだ!

手帳を捨てて、工作をしよう!
なつかしの「芋バン」でも…

挨拶の彼方へ

「挨拶をもう一回見直しましょう」

職場のミーティングで話した。
いわゆる「接遇」の話ではない。

診療の一環としての話だ。

挨拶における3つの意味。
それぞれ独立しているわけではない。

すべて関係している。

まず、儒教精神からくる挨拶。
「礼儀」という側面だ。
目上の人を敬う挨拶。
部活で先輩から徹底される。
人間関係を円滑にするために

非常に大切な入り口となる。

次に「武道的」挨拶がある。
自分を殺しに来た相手と友達になる。
殺気を放つ相手に
「元気?」「お腹空いてない?」

と握手の手を差し出す。

日野武道研究所主宰の日野晃先生から
学んだことだ。
武道は殺し合いだ。

挨拶は生き残るための「防御」だ。

3つ目は最近知った概念だ。
実は挨拶は「ほめる」なのだ。
「ほめる」とは人・モノ・出来事の
「価値を発見して、伝える」こと。
そう定義すれば、挨拶もまさに

「ほめる」なのだ。

きちんと挨拶するということは、
相手の価値を発見できる自分である
ということでもある。

逆に、無視することは「無価値」と
レッテルを貼ることになるのだ。
「ほめる」どころか「もめる」…

そんな講釈を垂れて、ワークをした。
みな照れながらも真剣にやってくれた。

ありがたい。

「患者さんが診察室に入るまでに、
接するスタッフの挨拶でしっかり
治療しておいて下さい」

そうスタッフにお願いしておいた。

世界中の人がきちんと挨拶すれば
戦争もなくなる。