『縁起の思想』読後


早い話が
傍観者にはなりえない
ということだ。


何をかくそう仏教徒だ。
破ることも多々あるが、
一応「戒律」もある。

「宗教とは一神教である」
の定義を採用しているので、
仏教を宗教とは考えていない。
仏教に「神」はいないからだ。

生きて行く上での知恵として、
仏教「哲学」を採用している。

「縁=関係」「縁起=関係性」
と著者は考えている。


西洋哲学で関係性「A→B」を語る際、
語り手はAに対して完全なる傍観者だ。
逆に完全なる傍観者になれるから、
「科学」が生まれる。

仏教の立場は全く違う。
自分と無関係なAは存在するのか?
要するに

「ほな、誰がAについて語ってるねん?」
ということだ。

Aには、「自分」を含め、すでに
無数の「縁(関係)」が内在されている。
21世紀「量子論」では観測者の影響を
無視できないことが当たり前になった。
仏教に「先見の明」があったのだ。


イラク問題は傍観者でいられても、
新型肺炎の問題は傍観者になれない。
感染症も経済もつながっている。
本当はイラク問題もつながっている。

「関係性」を意識することでしか
世界は救えない。

酒と薔薇の日々


大学の同級生の吉川君とお茶をした。
3時間くらい盛り上がった。
見晴らしのよい川沿いのカフェで。

旧友と会うと大抵、昔のとんでもない
悪事をとがめられる。

酒にまつわる失敗、女がらみ…
「そんなことあったなあ」
大笑いしながら勝手に盛り上がる。

「一生の思い出やなあ」
こちらの言葉に吉川君はただ苦笑い。

決して開き直っているわけではない。

ところで、映画のキモは「シーン」だ。
シーンにおいて、何らかの取引が行われる。
映画は「活動写真」と呼ばれていた。
シーンは動く写真の中で表現される。

シーンにしか意味がなく、逆に
無意味なシーンは全部切り取られる。

長くて3時間の中に、重要なシーンだけが
集まったものが映画だ。
(無駄なシーンの多い映画も多々あるが…)

映画は「記憶」に近い媒体だと思う。
記憶とは「ネタ化」されたシーンの集大成だ。

人間は一度見たものは見ないそうだ。
見ているフリをしているだけ。
神経は「変化」にだけ反応する。
脳のエネルギー消費節約のため、
生得的に備わった機能だ。

つまり無駄なシーンは記憶されない。
変化のない生活をしていると
ヘタしたら記憶ゼロになる。
死ぬ時に「ゼロ人生」になってしまう。

新型コロナのおかげで2020年は
忘れられない年になるだろう。
ぜんぶ「ネタ化」すればいい。

吉川君の名作(迷作?)映画に
出演できたことを光栄に思う。

繰り返すが、開き直っている
わけではない。

気とおカネの遣い方

絶対に手ぶらで受診しない患者さん、
田中さんは78歳の女性だ。


パートで働いていた肉屋が潰れた。
不測の事態だった。
田中さんの差し入れがメンチカツから
「行列のできる食パン」に変わった。


「気を遣わんといて下さい」
「遣うわよ。気とおカネは生きている
うちに遣わないと意味ないのよ」

と粋(いき)な返しをしてくれる。

「仕事してるの?」
「私が仕事しないわけないでしょ!」
「エライわ。よく見つかるよね」
「選ばなきゃいくらでもあるのよ」


圧倒される78歳だ。
不測の事態ももろともせず。
気配りのできる田中さんは何歳に
なっても引っ張りだこだろう。

新型コロナウイルスの脅威は
春節を頼りにしていた業者に
大きな打撃だ。

予定通りに行かないのが世の中だ。

人類の感染症との闘いは続く。
感染症も天災の一種だ。
完全に制御することはできない。

田中さんの「挫けない」精神に
学びは多い。

https://oneloveclinic.tokyo/blog/oneloveclinic/緊急告知