躾(しつけ)はだれのため?

「年間160,000件」
児童虐待の相談件数だ。

虐待の末、死に至る。
連日のように報道され、
「またか…」
と落胆する。

見た目で判断してはいけない。
が、虐待する親は見事に
「見た目どおり」
が多い。
「社会性」のない「見た目」だ。

職業柄、高齢者と接する機会が多い。
高齢者の患者さんはよく
「しつけ」という言葉を使う。
「親のしつけがなっていない」
「きちんとしつけなさい」


そういえば最近の若者は
「しつけ」を使わない。
アホ親が児童虐待したときに
「しつけの一環として」
と言っているのは皮肉な話だ。

世の中で「しつけ」という言葉を
使いにくくなっている。

躾(しつけ)は動物に使うような
イメージがあるのかもしれない。

人間はまごうことなき「動物」だ。
庇護しなければならない期間が
ダントツに長い動物だ。
だから「猿」や「犬」と同じく、
「しつけ」が大切だ。


目的は?
もちろん
「親の言うことをきく子になる」
ではない。
「社会性」を手にするためだ。

だから、挨拶をしないといけないし、
他人に迷惑をかけてはいけない。
社会に役立つ人になる必要がある。

もちろん子どもの能力の問題はある。
親の目だけで見極められるか?
正直、難しい。
だから親戚や、近隣、仲間の意見も
親が取り入れないといけない。

親の社会性が必要だ。
アホ親は社会性がない。
子どもは守ってあげないといけない。
そういう親を見極めてあげるのは
社会の責任だ。


「しつけ」は強い言葉だ。
責任をともなう言葉だ。
あえて使っていきたいと思う。

挨拶の彼方へ

「挨拶をもう一回見直しましょう」

職場のミーティングで話した。
いわゆる「接遇」の話ではない。

診療の一環としての話だ。

挨拶における3つの意味。
それぞれ独立しているわけではない。

すべて関係している。

まず、儒教精神からくる挨拶。
「礼儀」という側面だ。
目上の人を敬う挨拶。
部活で先輩から徹底される。
人間関係を円滑にするために

非常に大切な入り口となる。

次に「武道的」挨拶がある。
自分を殺しに来た相手と友達になる。
殺気を放つ相手に
「元気?」「お腹空いてない?」

と握手の手を差し出す。

日野武道研究所主宰の日野晃先生から
学んだことだ。
武道は殺し合いだ。

挨拶は生き残るための「防御」だ。

3つ目は最近知った概念だ。
実は挨拶は「ほめる」なのだ。
「ほめる」とは人・モノ・出来事の
「価値を発見して、伝える」こと。
そう定義すれば、挨拶もまさに

「ほめる」なのだ。

きちんと挨拶するということは、
相手の価値を発見できる自分である
ということでもある。

逆に、無視することは「無価値」と
レッテルを貼ることになるのだ。
「ほめる」どころか「もめる」…

そんな講釈を垂れて、ワークをした。
みな照れながらも真剣にやってくれた。

ありがたい。

「患者さんが診察室に入るまでに、
接するスタッフの挨拶でしっかり
治療しておいて下さい」

そうスタッフにお願いしておいた。

世界中の人がきちんと挨拶すれば
戦争もなくなる。