ナガルコット最終話

そんなこんなで最終日。
今朝は雨だった。
毎朝全く違う景色だった。
買い物と市内観光からの出国。

タクシーをチャーターしたい旨を
フロントに告げると
「それなら今すぐ出発しないと!」
と焦らされる。
結局早く空港に着きすぎることに…

母も自分も欲しいモノが買えた。
しかも極めて効率よく。
ネパールのような国では珍しい。

値段の交渉も一切なし。
交渉のやり取りも楽しいものなのだが
余計に払ってあげたい気持ちだった。
奇跡のようにスムーズに流れた。

自分の欲しているモノが手に入る。
実際はトラブルもあった。
終始「かえってよかった」精神で
いられたことが勝利の秘訣か。


搭乗まではラウンジで過ごした。
ネパールのラウンジはホテル内。
だから意外と豪華だ。
ここでも母の食欲に脱帽だった。

数時間後には関空。
カルロス・ゴーンの脱走した空港。
手間取るかと思ったが杞憂だった。

リムジンバスで大阪駅に予定通り到着。
母とハグでお別れ。
迎えに来ていた妹ともハグでお別れ。
しばしの別れか、今生の別れか。
原田家では恒例の挨拶だ。

帰省ラッシュの東京行き新幹線。
奇跡のキャンセルでグリーン確保。
親切な親子と意地悪な親子に遭遇。

カネがなくても幸せに見えるネパール人。
グリーンに乗っても不幸せに見える人。
やっぱりキーワードは「挨拶」だ。
「ありがとう」「ダンニャバード」
大切な言葉だ。


東京に着くと子どもたちは寝ていた。
娘や息子と二人で旅行する日は
はたして来るのかな?
そのときまで生きてるかな?
チャンスがあれば是非!

世界平和は挨拶から

挨拶ができない社員がいる。
顧問先で相談を受けた。

挨拶と会社の経営状態は
驚くほど比例する。
社員の健康状態にも反映される。

もちろんニワトリが先か?
玉子が先か?ではあるが…

挨拶できない社員に理由を訊くと、
挨拶が苦手だという。

「社会人」としては失格なのだが、
放置しているわけにはいかない。
組織が機能しないからだ。

なぜ苦手なのか?
「間がつかめない」そうなのだ。
挨拶をするタイミングを逸する。
無視されることが辛い。

となると、気づいてもらえる声を
作る必要がある。
さらにハードルが増える。

声の出し方を鍛えるのも
それほど簡単ではない。
声は絶対大切なのだが、
はたしてそこから始めるべきか…

ふと気づいた。

挨拶が苦手という人は挨拶される
「間」も作れていないのだ。

こちらを見ていない。
要するに他人を見ていないのだ!
自分の世界に入っている。


そういう人に都合のよいツールは
増えている。スマホなどがそうだ。
これはとても危険だ。
通り魔に殺されるかもしれない。

自分以外の他人に興味を持たない
ということは自分にも興味がない
ということだ。
自分に興味がないということは
一体自分のしていることは何?

哲学的になってしまう…

できることから始めるしかない。
外交も近所づきあいも挨拶だ。
先ず隗より始めよ。
首相、社長、親、リーダー、
「長」の自覚からやな。

躾(しつけ)はだれのため?

「年間160,000件」
児童虐待の相談件数だ。

虐待の末、死に至る。
連日のように報道され、
「またか…」
と落胆する。

見た目で判断してはいけない。
が、虐待する親は見事に
「見た目どおり」
が多い。
「社会性」のない「見た目」だ。

職業柄、高齢者と接する機会が多い。
高齢者の患者さんはよく
「しつけ」という言葉を使う。
「親のしつけがなっていない」
「きちんとしつけなさい」


そういえば最近の若者は
「しつけ」を使わない。
アホ親が児童虐待したときに
「しつけの一環として」
と言っているのは皮肉な話だ。

世の中で「しつけ」という言葉を
使いにくくなっている。

躾(しつけ)は動物に使うような
イメージがあるのかもしれない。

人間はまごうことなき「動物」だ。
庇護しなければならない期間が
ダントツに長い動物だ。
だから「猿」や「犬」と同じく、
「しつけ」が大切だ。


目的は?
もちろん
「親の言うことをきく子になる」
ではない。
「社会性」を手にするためだ。

だから、挨拶をしないといけないし、
他人に迷惑をかけてはいけない。
社会に役立つ人になる必要がある。

もちろん子どもの能力の問題はある。
親の目だけで見極められるか?
正直、難しい。
だから親戚や、近隣、仲間の意見も
親が取り入れないといけない。

親の社会性が必要だ。
アホ親は社会性がない。
子どもは守ってあげないといけない。
そういう親を見極めてあげるのは
社会の責任だ。


「しつけ」は強い言葉だ。
責任をともなう言葉だ。
あえて使っていきたいと思う。