言葉もパンデミック


世界はつながっている。
病原ウイルスの世界的流行のお陰で、
イヤでも認識させられる日々だ。

みな必死で現状維持しようとする。
それでもどうしようもなくなり、
目の前の景色が変わる。

銀座の街に人がいなくなる。
買いたいのにモノがなくて、
手に入らなくなる。

ショックを受ける。

「こんな所に影響があるんだ」
これから益々増えるだろう。

新たな工夫が生まれるだろう。
「公共」というものを重視する
日本人の精神は素晴らしい。

自分が迷惑をかけてはいけない。
強制がなくても、周りに合わせる。
ただし、共倒れには注意が必要だ。
感情的になっているとき、ヒトは
正しい判断ができない。


情報発信にも配慮がほしいところだ。
ウソはいけない。
しかし、感情を揺さぶるだけの
「告知」には反対だ。

常に、「対案」や「だから~しよう」
をセットで用意してほしい。

書籍からの引用だ。
「ヒトはポジティブな意味合いの言葉を
他者から聞くと、自分の言動もポジティブ
に変化する」

「情動感染」と呼ばれる現象らしい。

当たり前だが、言語は身体に影響する。
言葉は病気も健康も作り出す。

「わかりあえなさ」を埋めるには、
既知の言葉ではなく、未知の言葉が
溢れてくるのをじっと待つ。
それが、他者との関係性を保つために
重要だ、と著者は述べる。


ウイルスだけでなく、言葉も蔓延するし、
感染する。そして感情も感染する。
どんな言葉を収集し、発信するのか?
それが、宇宙を動かす。

今こそ「縁起」を体感する好機だ。

最強の口ぐせ

「かえって良かった」

最強の口ぐせである。
この口ぐせを持っていない人は

ヤバい。

この言葉をひとたび発する。
どんな悲劇の最中でも
脳が辻褄を合わせる理由を勝手に

探してくれるのだ。

人は出来事を「物語」でしか
記憶できない。
そしてその物語の流れには好みの

傾向があるそうだ。

万人ウケする「型」があり、それは
ハリウッドも使いまくっている。

困難を克服するストーリーだ。

悲嘆にくれる状況にあるときほど
「かえって良かった」が効く。

逆に、それしかない。

恐竜は絶滅した。
恐竜にとっては悲劇だが、人間に
とっては「かえって良かった」

今日、人間がこの世にいるのは、
「かえって良かった」と口ずさんだ

恐竜のお陰かもしれない。

外来は今日もブルースだらけ。
次々に来る患者さんに
「かえって良かった」

というのはとても勇気がいる。

だけど、その都度何らかの
理屈が思いつくのに我ながら驚く。

一休さんさながらに…

それは自分の実力なのではなく、
人類がみな持っているDNAであり、

稽古の賜物だと知っている。

誤解のないように言っておく。
「怖がるな」「悲しむな」とは
全く違う。
恐怖や悲哀の感情は本能だ。

本能を失うと死期が早まる。

「で、その次」の言葉、それが

「かえって良かった」だ。

そんな言葉ごときでは絶対に無理!

たとえそう言われても
「かえって良かった」
で絶対に返せるようになる。

感情は二の次

早い話が
感情に行動制限されるな
ということである。

悲しいことがある。
苦しい身の上である。
やる気が出ない。
だから、やらない。

嬉しいことがあった。
気分が非常にイイ。
やる気に溢れている。
だから、仕事がはかどる。

断言する。

どちらもダメ!

やる気があろうがなかろうが
やるべきことをやる。
感情や気分に左右されない。
そのクセをつけた方がいい。

一流の人に接する機会が多い。
一流の人だって人間だ。
気分の好不調は当然ある。
みな、愚直なまでに継続できる。
やる気の有無に関わらず。
それが一流たる所以だと感じる。

感情を切り離して行動する。
それができない人間は死に絶えた。
今、息をしている人はみな、
生き延びたDNAを引き継いでいる。
だから、できるはず。

今まさに過酷な状況にいる人ほど
やるべきことを淡々とこなすべき。
技術を獲得するチャンスだ。
「あの状況でも自分はやれた」
はデカイ!

自分も十代の最後に辛い時期があった。
15歳の妹が白血病になったのだ。
毎日見舞いに行った。深夜まで。
だが、浪人生活は一切サボらなかった。
むしろ勉強が「逃げ場」であり、
「安らぐ場」だった。

そのときに獲得した「技術」だ。
感情と行動を切り離すという技術。

カタツムリの歩みでもかまわない。
ちょこっとでも
前に進む。
人生時間をムダにしないために。

一流になれるという保証はないが、
その技術は一生の財産だ。