髪型差別


「オバちゃんみたいやな」
中学生の頃、友人連中に笑われた。

初めてパーマをかけた。
「デヴィッド・ボウイみたいにして」
と床屋にお願いしたはずだった。
中学生の自意識は、嘲笑に耐えられ
るほど強くなかった。

(二度とパーマをかけるまい)

今ではパーマに耐えられる毛髪量では
なくなった…

今ならわかる。
友人連中は自分のテリトリーを
荒らされたくなかったのだ。
「現状維持したい」というテリトリーを。

自分らの遊び場にデヴィッド・ボウイが
来たら、そりゃあビックリする!
現状がぶち壊されるからだ。

「人は、差別主義者に生まれるのではなく、
差別主義者になるのである」

著者のトニ・モリスンはアフリカ系
アメリカ人初のノーベル文学賞作家だ。

風習、教育その他環境因子が、
無意識レベルで「よそ者」を育て上げる。

デヴィッド・ボウイでさえも、昭和の
大阪の中学生には差別されるのだ。

差別がなくなればいい

ほとんどの人がそう思っているはず。
だけど、続く言葉がある。

差別は人間の本能だ

どのレベルで本能なのか?
「生まれながら」ではないのだ。
自分の中で「育て上げる」という
本能的能力を持っているだけなのだ。


「よそ者」認定してしまったときに、
「なぜ?」「どこから?」
心の「起源」と真剣に対峙する。
人類全員がそうする日が来れば、
「差別」を克服できるかもしれない。


たまには壮大なテーマもいいでしょ。

読書をするその前に

3500円以上の単行本を買うとき。
書評など存在しない本。
内容は難解そうだ。
目次も概念的で不愛想。
この価格帯は総じて分厚い。
当然全部に目を通して買えるわけがない。
そんな速読ができれば買う必要すらない。
重厚な内容がいつも正しいとは限らない。
頓珍漢にダラダラ長い本もある。
では選択の基準はどこにあるか?

装丁に情熱を感じる!
関係者全員のオーラが伝わったとき!

買い!となる。

少々オカルトがかっているが…

でも「出会い」とはそういうものでは?

昔のレコードの「ジャケ買い」もそう。

男女の「ビビビッ」も同じだろう。

少し自慢をさせてもらう。
初めて入る飲食店をハズさない。

(周囲ではよく知られた事実だ…)

経験に基づく感覚が介在するのだろう。

やはり言葉にはできない。

言葉は便利であり、不便だ。

本来音階は自然界には存在しない。
だけど、この音は「ミ」と教わる。
色の波長も連続性がある。
にも関わらず、この色は「赤」と習う。
味覚なんてもっと曖昧なはず。
なのに「辛い」「コクがある」など。
旨いと言わされる同調圧力まで存在する。

名付けられることで記憶の整理に役立つ。
しかし、逆方向の固定観念も生む。
旨いものはコレだ。
ミの音はコレだ。
赤はコレだ。

そして、言語化されないものが消える…

固定観念は生存確率上、便利なものだ。
けれど、それだけでは生きていけない。

何より、差別を生む最大の要因だ。

いろんな「赤」や「ミ」に気づく。
その方が絶対に人生は豊かになる。
言語化せず感じる能力を衰えさせない。
能動的な訓練が必要だ。
3500円以上の本を直感で買う。
ぜひ!

隅田川の花嫁

川向(かわむかい)に
お嫁に行きたかったの

安達さん(85歳)は夢が叶い、

川向(台東区)にお嫁に行った。

そして馬車馬のように働かされた。

子育てしながら、義父母と夫を送った。

夢の川向、現実は過酷だった。

「川向」という表現は万国共通のようだ。
今でも各地に残っている。
家賃の高低にも影響するから、

風習は侮れない。

よそ者には全く意味がわからない。

「井の中の蛙」としか思えない。

川を隔てて差別が生まれる。
海の向こうまでは思いを馳せない。

見える程度の距離が一番差別的なのだ。

ブラックホールに思いを馳せよう。

ジミークリフの
”Many Rivers to Cross”
が聴きたくなった。