画になる人々


たまに実家に帰阪すると楽しみがある。
保存してくれている録画を観ることだ。
地元の特集を片っ端から
録ってくれている。

蔵前、鳥越、御徒町・・・
「画」になる街なのだろう。
大阪でも度々特集されている。

知っている人ばかり出てくる。
うちの患者さんばかりだ。
しかも、みな「慣れ」とる!

テレビに出るのを自慢するのは
江戸っ子の沽券に関わるのか。
誰も自慢しない。

「テレビ観ましたよ!」
とこちらが言っても。
「ホントは出たくないんだよね」
と喜びを隠せない。

経済には必ずしも反映しないようだ。
出演後、瞬間最大風速は吹くが、
すぐに静まるのが残念なところだ。

「匠」と呼ばれる職人さんも多い。
テレビでその仕事っぷりを見て、
腰を抜かすことになる。
気迫、真剣、気合・・・
「画」から漏れ出ている。


診療中は博打や、酒、趣味の話しか
しないオッチャンたちだ。
「酒多すぎるんじゃないの!?」
普段は、こちらが偉そうに説教している。
つまり「見損なっている」わけだ。

同時に誇らしくもある。
「画になる」患者さんたちに選ばれる
「画になる」医師・・・


アカン!勘違いするところだった。
ちゃんと「医療」をすることが大事。
銘記せねば・・・

聴診器はタクト?

色んな楽団(バンド)を経験した。
観てきたバンド、所属したバンド。

うまくいっているバンドは
例外なく全員が「指揮者」だ。
メンバー全員が俯瞰(ふかん)
できている。

俯瞰するためには、「関係」を
理解し、共有することが必要だ。
当たり前と思うが、簡単に
できるかどうかは知らん。
簡単と思わない方がいい。

所属する「楽団」はたくさんある。
家庭、地域、学校、職場、地域、
国家、国連…

医療という「楽団」に限定しても、
患者、スタッフ、出入り業者、薬局…
無限に存在する。

しっかりと「関係」という足場を
築けているか?
「効く」ときは、できている。
間違いない。

悪く言えば、
自分勝手なヤツが1人でもおったら
治るモンも治らん
なのだ。

診療指針という共通言語への
信頼の効能は強力だ。
であれば、先人への敬意は
絶対に忘れてはいけない。

2000年以上前に、ヒポクラテスは
有名な「誓い」の中で、
「この術を与えてくれたすべての
先人たちへの敬意を忘れない」
と述べている。

それは医療の現場だけではない。
教育の世界でも適用されるべきだ。
宗教業界だって政治業界だって。

一番最初の関係性は「親子」だ。
親の自覚を持っているか?
自問自答している日々だ。

要は、どの「関係」の中でどんな
「機能」を果たしているのか?

そこを起点に考えれば、自ずと
身につけるべき「スペック」が
決定されるのではないか。
時間をつぶしている暇はない。

美しい音楽だけが効く。
24時間365日、自分のテーマです。

死ぬために仕事?

「先生、スゴイです!」

看護師長に驚かれた。

9月から来た新しい師長だ。

外来のこなし方に驚いたようだ。

客観的に見れば、患者数も多いし、
テンションも高い。
しかし不思議と疲労はほぼゼロ。

楽しくて仕方がない。

以前はヘトヘトになっていた。
最近、就寝時は常に寝落ちする。

ということは疲労しているのだろう。

業務後の「自己研鑽」でより多く

エネルギー消費していると思われる。

なるほど!

外来業務は「発表会」だ!

医療はライブだ!出たとこ勝負!

患者さんが満足しなければ、
来なくなるだけ。
仕方がないし、それはそれでいい。
医者は全国に30万人もいる。

相性の合う医者を探すべきだ。

仕事でヘトヘトになっている。

そういう患者さんをよく見る。

たいてい病の原因は「仕事」だ。
考え方の「設定」を変えた方が

いいかもしれない。

「食うためにヘトヘトになってでも

するものが仕事」

きっとそれは産業革命以降生まれた、

特殊な定義だ。

面白い、時を忘れる仕事を選んでも

全然かまわないのだ。

人生で最も長い時間を費やす作業。

そういう人が多いのだから…

(『ヴェネツィアの出版人』オススメ)