フルアテンション


先週末、講演を依頼された。
「なんとか暗示」効果を狙って
白衣で講演をするのが常だ。

なのに・・・
あろうことか白衣を忘れた・・・

「熱中症ですかね」

ととぼけるのが精一杯だった。
真夏の超ラフな衣装(?)のまま強行。
さいわい、講演はウケ、質疑応答も
大いに盛り上がった。

終演後、妻子と合流し、早めの夕食。
暑いので店探しに時間を食いたくない。
インスピレーションで昔ながらの
町中華に入ることにした。

厨房とホールはともにお爺さん。
今どき、タバコを吸いながら
調理する厨房のマスター。

結論から言えば、たたずまい通り、
メチャメチャ美味い中華だった!
ラーメン、チャーハン、餃子、麻婆
すべて美味い!

子どもらも喜んで食べていた。

会計後、訊いてみた。

「日曜はやってるんですか?」

気まずそうに首を振るおじいさん。

「何時までやってるんですか?」

おじいさんは悲しげに
「今日で閉店なんですよ。
こんなご時世だから」

と答えた。

「安倍さんとおんなじやん!
そしてボクとおんなじやん!
ボクもコロナ失業ですよ」


おじいさんは笑っていた。

「次」はなかった。
閉店直前に食べられたことは
はたして幸せなことなのか?


一期一会・・・
悔いなきよう一瞬一瞬に
フルアテンションするしかない。
次の舞台にメラメラ!
中華料理の火力のように・・・

気分が大事!


人になにかを教えるのは難しい。
一度でできるはずがない。
ときに何度も何度も同じ話を
しないといけない。

「聴く」
「わかる」
「できる」


理解には階層性があるが、
最近、みな「聴く」でつまづいている
ということに気づいた。


脳は知っていることしか学べないし、
知らないことは学べないからだ。
脳の「手抜きシステム」ゆえだ。

だから、知っていることを一時的に
忘れなければ、新しいことは学べない。


要するに、偏見が邪魔をするのだ。
偏見が物事を聴けなくする。

そして、今学ぼうとしていること以外の
すべてを忘れる能力のことを集中力と呼ぶ。


つまり、学びの極意は「忘却力」に尽きる。
自分自身、常に心がけている。
特に人と接するとき。
すべてダイナミックに変化をしている・・・
一期一会・・・

気分が大事や!
ということ。

号泣セラピー


早い話が
雰囲気はめちゃくちゃ大切だ
ということだ。

娘に注射を打とうとした。
インフルエンザの予防接種だ。

「イヤだ」

4歳児の自然な反応だ。
泣くまではいかないが、抵抗する。
身体をよじらせ、逃げようとする。

それを見ていた1歳の弟が号泣。
精一杯の援護射撃なのかもしれない。
「泣く」という手段しか使えない。

姉の「イヤ」が伝播したのだろう。
まだ姉に「痛み」は発生していない。

号泣をBGMに任務を遂行する
冷徹さが誇らしい。

本題に戻る。
雰囲気は大切だ、という話だ。
乱すヤツがいたってかまわない。
下手なヤツがいたってかまわない。

ただし、「雰囲気」への美意識は
一致していた方が良さそうだ。
そこが異なると割としんどい。
よほど体力がないと疲弊する。

幼稚園や小学校はかまわない。
ある意味それを学ぶ「場」だ。
色んな人がいて、その中で
どう立ち居振る舞うか?

病院などの高齢者がいる所では
雰囲気作りは絶対に重要だ。

言語化が難しい部分だと思う。

茶道や武道などの伝統の中に
ヒントがあると考えている。
理由は色々あるが、今回は
触れないでおく。

何千年、何百年のスパンで
生き残ってきたものは侮れない。


医学の持つ「効く」雰囲気。
ヒポクラテスに始まる2000年の
伝統に負うところが大きい。

どの世界も新規参入は容易ではない。
「号泣」という手法しか使えないと
救済することもできない。