「どこも悪くないのよ。悪いのは頭だけ」
「頭悪くないよ。だから生き延びてる」
「スカスカよ。信州味噌入れて欲しい」
「かに味噌じゃアカン?」
「生臭いじゃないの」
野島さんは82歳独り暮らし。
最近認知症が急激に進行している。
徘徊も多くなっている。
クスリが飲めていない。
通院も滞る。
娘からの依頼で往診が始まった。
久々に会った野島さん。
冒頭の会話でスタートした。
認知症は確かに進行している。
しかし、会話のラリーができる。
不思議だ。
野島さんの手芸の腕前はプロ級だった。
習っている教室の先生より上手だった。
トーク力と手芸技術で人気者だった。
今年になってやめてしまった。
うちの患者さんから聞いた。
段々会話が噛み合わなくなったきた。
ご本人にとってもストレスだったようだ。
プライドの高さもあったのだろう。
野島さんには「趣味の部屋」がある。
患者さんたちから噂を聞いていた。
同好の士にとって「垂涎もの」だと。
お部屋を拝見した。
コックピット!
そう表現したくなるような部屋だった。
年季の入ったミシンや道具の数々。
所狭しと多くの作品が壁に飾られていた。
独り暮らしでも不自由はしていない。
一食は配膳を頼んでいる。
持病の肝硬変と高血圧は悪化していない。
認知症になって「病」の存在を忘れたか?
それも奏功しているのかも。
「お父さん死んで何年経ったっけ?」
夫も診察していた。
「ちょっと待って」
仏壇の引き出しから手帳を取り出した。
家族の死亡日時が記録されている。
「24年10月25日」と野島さん。
「もう7年かあ…」
「あら、ウチの親戚はみな25日だわ」
「給料日だから?」
「みんな人雇ってたからねえ」
粋なラリーをしてくれる…