したくないことをする自由

「やりたいことしかしない」
という一見耳障りの良い言葉がある
『したいことしかするな!』
本屋や中吊り広告で目にする。

決して間違ってはいない。
但し、「人」を選ぶから注意が必要だ。

言葉の解釈度にレベルがあるからだ。

「やりたいこと」は何?
それはどのレベルでやりたいのか?
本能に近い欲求レベルか?
人に褒められる常識レベルか?

ボクシングで世界チャンピオンになる。
それは「やりたいこと」かもしれない。
そのためには何が必要か?
命がけの特訓が必要となるだろう。

それは「したいこと」か?

そこに「自由」が存在するか否か?
それがポイントだ。
特訓は好きではないかもしれない。
だけどやるしかない。
それは誰が決めたのか?
自分だ。
したくないことをする自由だ。
本来「しないといけない」という言葉は
命令や規則に従うときに使用してきた。
だから、言葉に隷属がつきまとう。
つまり、「奴隷の使う言葉」だ。

「前にならえ!」
それを自分から求める子どもはいない。
本当はイヤだけどやっている。
受動的に従っているだけだ。
規律を「学ぶ」という面では正しい。
だけど、危険性もある。
自分で考えることを放棄する可能性。
権威に従っていれば守られる。

楽な道だ。

提言する。

イヤなコト、嫌いなコト…
渡世で逃れられないモロモロ…

それをするとき…

「好きではない」「本当はイヤだけど」
そんな言葉は絶対に吐くな。
「やると決めたこと」は淡々とやる。
能動的に従う行為は「自由」なのだ。
わざわざ奴隷時代を思い出すな。

規律に従うことも実は本能からの自由。
「全部自分で決めたんや、オレの勝手」
自己責任の遂行義務を果たしてこその
「やりたいことしかしない」
なのだ。