言葉が「起爆剤」

背中を押してくれる存在は絶対に必要だ。

「書籍に影響されて」
「ある映画が人生を変えた」
あるかもしれないが、それだけか?
やっぱり「人」との関係性が重要だ。

残念な事実だ。
背中を押さずに、足を引っ張る。
そういう人が圧倒的に多い。

自分のケースもそうだった。
「東京に行くわ」
「お前には合ってないよ。やめとき」

「自社ビル持ちたいねん」
「おカネないやん。無理無理」

「本出したい」
「いつ出すねん?前からゆうてるやん」

てな具合。

母親は背中を押してくれるタイプだった。
「やればできる」という考え方。
「フェラーリ買おう思てるねん」
「ついに夢かなうやん!」
夢の邪魔をしないのはありがたかった。

不思議と、周囲に常に
「おう、絶対イケるで!」
という人がいてくれた。
サポーターに恵まれたのだ。
日野晃師もその一人だ。

現状は不満だが、常に嬉しい。
10年前には想像もしなかったことだ。
人間関係も大きく変わった。
というか広がった。
多分これからもドンドン変わるだろう。
まだまだ夢に向かって走っていく。
夢?

世界の子供たちの教育と医療の機会均等
それを実現すること

だから全然満足していない。
不満は自分のとってモチベーションだ。

足を引っ張られることもなくなってきた。
たまに変な言葉を受けても
「この人ずっと留まってるんやろうなあ」
とむしろ哀れになる。

自分自身に対して
「大丈夫。絶対イケるで」
という言葉を使うようにしている。
そうすると本当に解決していく。
言葉を発することで解決法が見つかる。
そんな感じだ。
言葉が「起爆剤」。
「問題解決センサー」が発動する感覚だ。

目の前の相手にもそう言っている。
「大丈夫。絶対イケるで」
家族、友人、患者さん…
(患者さんにはケースバイケースだが…)

すると大抵うまくいく。
だから驚くほど周囲が成功している。
患者さんも治癒してくれる。
何より、変な言葉遣いをする人が減った。

多分本当は絶対にうまくいくのだ。
正しい言葉を使っていれば。
しかし、前述した「足を引っ張る人」。
これが非常に邪魔だ。
この人たちの言葉が侵略してくるのだ。
そして彼らの言葉に塗り替えられる。
感染力が強いのだ!
「関係者各位に告ぐ」
警告が必要なのかもしれない。

一人旅に出るしかない。
本気で状況を変えたいならば。
関係者の全くいない場所へ。
できれば言葉の通じないところへ。
しかし、現代はネットですぐにつながる。
「こっちに帰っておいで」
関係者が手ぐすね引いて待っている。

「御破算」にする根性。
しつこく背中を押してくれる存在。
二つとも必要なんだろうな。

よろず相談所ワンラブ
所長:原田文植

ONELOVE 出版設立

一言でいうと、読書が足りない。

月間100冊は本を読んでいる。
これでも少ないと思っている。

世の中の情報量は爆発的に増加している。
無防備でいると絶対に溺死する。
適切な「防備」とは?
考え方の「鋳型」を持つことだ。
鋳型をつけるには読書が最適だ。
もはや情報の記憶は AI に任せればいい。
しかし、情報と情報をつなぐ、改良する、
応用する、それは人間の仕事だ。
「本質的な思考」は人間にしかできない。
思考の技術を手に入れるには?
他者の論理展開や、視点をパクるのが
最も効率的だ。
現段階では読書に勝るものはないと思う。
本を読むという作業は意外と深い。
一昨年末に自著を出版した。
多くの人が感想を述べてくれた。

十人が十人違うポイントを指摘した!
見事なまでに違う視点だった!

なるほど。
「自分」を読んでいるのだ。
自分自身にも問い直した。
固定観念で読んでいるのでは?

自分の読書を見直すきっかけになった。
視点を固定化しないためには?
大量の読書しかない。
しかし、まだまだ足りない。
週末も読書三昧しよう。

ところで「活字離れ」と言われて久しい。
情報媒体の多様化だけが要因ではない。
新聞社、出版社の驕りやサボりも原因だ。
言うは易し。
読書の必要性は啓蒙していきたい。
そこで…
出版社を始めることにした。
今年中にしっかり形にしたいと思う。
応援よろしく!

よろず相談所 One Love
所長:原田文植

目と目で通じ合う

パソコンばっかり見てこっちを見ないのよ

あいかわらず、この手の愚痴は多い。

電子カルテが当たり前になった。
患者を診ないでPCを診ている。
そういう医者が多くなっている。

患者と何らかのトラブルが生じる。
証拠はPC内に残る。
保身のためには得策だ。

「うちの先生はそんなことないよ」
陰でホメられている(?)そうだ。
批判されないのはありがたいことだ。
実は、スタッフにはいつも叱られている。
きちんとカルテに記載して下さいと。
カルテ記載が疎かになっているようだ…

ところで電子カルテがなかった時代。
当時の医師はそれほど熱心だったのか?
昔の医者もカルテばかり見ていたのでは?
情報量は手書きのカルテでも同じく多い。
カルテと対峙している時間は長いはず。

なぜ現代の方が問題になるのか?
英語やドイツ語で記入する。
サラサラっと書く姿。
(秘匿性を保つことが主目的なのだが…)
患者もそれに見惚れていたのでは?
そのとき医師は権威を発動していたのだ。
「治してくれそうな医者」になる。

PCを打ち込む姿は事務員と大差ない。
医師の権威はむしろ下がる。
「治してくれなさそうな医者」になる。

最近は患者さんも電子カルテを見る。
むしろ、見入っている!
医者を診てよ!

だから意地でも電子カルテを書かない。
患者は無地の画面を見続けることになる。
主治医はその姿も観察しているぞ!
その姿をスタッフは観察している。
で、スタッフに叱られることになる。

このジレンマは意外と問題視されない。
私だけ?
「三方よし」を実現するのは大変なのだ。

よろず相談所 ワンラブ
所長:原田文植