サインは効く?

薔薇という漢字がある。
ほとんどの人が書けないだろう。
だけど、オトナなら大抵読める。

カタカナの「バラ」で通じる。
「バラ」と言えば、まだ肉より
薔薇だろう。

漢字を書く機会が少ない。
だから簡便化された漢字が
存在しないのだろう。
齋→斉、濱→浜のように…

「漢字が書けなくなった」
という人が多い。
読めるけど書けない。
そういう人が増えている。

かくゆう自分にも心当たりある。
機器を使った入力の影響だろう。
確かに書く機会が減っている。

見ればそれとわかるミッキーマウスも
描ける人は少ない。
漢字もミッキーマウスのように
なっていくのか。

この流れは益々加速するだろう。
それでも、自筆の説得力が強いのは
言うまでもない。

藤原定家自筆の『源氏物語』が
見つかった。
およそ800年前の代物だ。

近くで感じてみたい。
心底思う。

自筆は「ライブ」なのだ!
演奏も言葉も「生」が効くのだ!

グーテンベルクの印刷革命から
コピー機、ワープロの出現。
紙と筆記用具の価値は薄れるのか?
近隣の文房具屋、『カキモリ』は
今日も行列だ。

この程度の文章でも自筆で書く
自信がなくなっている自分。
手で書く練習をしようと思う。

ちゃんとしなさい!

ちゃんとやりなさい!
子供の体操教室に響き渡る。

子供が先生の言うことを聞かない。
そのとき、親が子供を叱る。
「ちゃんとしなさい!」

もしかしたら「ちゃんと」する子が
育つかもしれない。

子供に英語を習わせる親が多い。
妻がその親から質問される。
「ちゃんとしなさい、って
英語で何て言えばいいの?」

妻は困る。
「ちゃんと」に英語訳がないらしい。
ちなみに妻はTOEICで940点
取ったことがある。

目的を達成することが大切なのでは?
「何を」が抜け落ちた「ちゃんと」は
指導放棄と同然だ!
といえば、乱暴すぎるか…

運動会の徒競走。
途中棄権した我が子に、つい
「ちゃんとしなさい!」
と言ってしまい反省…

挨拶の彼方へ

「挨拶をもう一回見直しましょう」

職場のミーティングで話した。
いわゆる「接遇」の話ではない。

診療の一環としての話だ。

挨拶における3つの意味。
それぞれ独立しているわけではない。

すべて関係している。

まず、儒教精神からくる挨拶。
「礼儀」という側面だ。
目上の人を敬う挨拶。
部活で先輩から徹底される。
人間関係を円滑にするために

非常に大切な入り口となる。

次に「武道的」挨拶がある。
自分を殺しに来た相手と友達になる。
殺気を放つ相手に
「元気?」「お腹空いてない?」

と握手の手を差し出す。

日野武道研究所主宰の日野晃先生から
学んだことだ。
武道は殺し合いだ。

挨拶は生き残るための「防御」だ。

3つ目は最近知った概念だ。
実は挨拶は「ほめる」なのだ。
「ほめる」とは人・モノ・出来事の
「価値を発見して、伝える」こと。
そう定義すれば、挨拶もまさに

「ほめる」なのだ。

きちんと挨拶するということは、
相手の価値を発見できる自分である
ということでもある。

逆に、無視することは「無価値」と
レッテルを貼ることになるのだ。
「ほめる」どころか「もめる」…

そんな講釈を垂れて、ワークをした。
みな照れながらも真剣にやってくれた。

ありがたい。

「患者さんが診察室に入るまでに、
接するスタッフの挨拶でしっかり
治療しておいて下さい」

そうスタッフにお願いしておいた。

世界中の人がきちんと挨拶すれば
戦争もなくなる。